シアトル便り

 

2006年05月22日

昨日はじめて、おっぱいの練習を1日1回から2回に増やそうかということになりました。今までは午後の2時か3時くらいに授乳していました。続けて授乳をすると大河の体力を消耗してしまうので、2回にしようとするともう1回は夜中。陽を寝かしつけてすっかり寝入った頃、と思い、真夜中の12時に来ることにしました。

大河の入院している病院は、24時間いつでも面会OKです。個室でトイレやシャワー、ベッドもついているので、家族が泊まることができます。NICUのお母さんたちの中には、泊り込んでいる人も多いのですが、私は陽がいるので今までは昼間しか来たことがありませんでした。パパがよく出勤前、朝4時か5時くらいに大河に会いに来ていて、「早朝は静かでいいよ〜。」と言っていましたが、夜はどうなのかなぁと思っていました。

行ってみたら真っ暗な部屋の中で大河は眠っていました。昼間の喧騒とは全く違って、とても静か。なんだか落ち着きます。夜勤の看護婦さんもとてもいい人で、(昨日しっかり訴えたせいもあるのでしょうが)連絡もきちんと行き届いていて、スムーズに授乳をはじめることができました。抱っこすると大河はパッチリと目を開けて、ママを見つめています。なんだか幸せな気分で授乳して、そのあと1時間くらい抱っこして深夜1時半くらいに家に帰りました。

さて、陽は、と見てみると、ぐっすり眠っています。よかった〜と思ったのは一瞬で、すぐにパパが小声で、
「ママママママ〜」
って大泣きだったよ、と。ママが帰ってきたのがわかったのか、また目を覚ましてしまってその後朝まで何度も起きながらママにくっついてました。

これだと陽がママの帰りを待つようになって、かえって陽の眠りをさまたげてしまうのではないか、とパパと話し合い、明日からは陽を寝かしつけたあとしばらくしてから11時ごろ病院に向かい、ママは病院に泊まって朝6時過ぎ(もう陽が起きてもいい時間)に帰ってくることにしました。おそらく陽、最初の2〜3日は夜中に泣くと思うけれど、そのあとはパパと一緒に眠ってくれると思います。

陽が泣くのは辛いけど、陽がぐっすり眠れる方が大切だし、大河にもママが必要。がんばろうね。

主張する文化

大河がNICUからPediatricの側のお部屋に移って4日目。すでに1ヶ月以上過ごしていたNICUとそこの看護婦さんたちにすっかり慣れていたので、また新しい看護婦さん、看護師さんたちと関係を築き直すのは少し大変です。

今日は私が以前から何度も伝えておいて、一番目立つ洗面台のところに貼り紙までしておいた大河の授乳の時間が伝わっていなかったので、全く納得がいきませんでした。NICUの時は看護婦さんたちも私のスケジュールをよく知っていたので問題がなかったのに!いくら安定しているとはいっても、大河はまだ妊娠週数でいうとたったの33週。(28週で生まれて、5週間経ったので。)きちんと見てていてもらわなくては心配なことばかり。それに、これからも1ヶ月以上入院生活が続くのだから、ちゃんとしてもらわなければ。

怒りを抑えながら、頼りなさげな看護師さんに、
「ここの連絡報告のシステムはどうなってるんですか。毎昼夜違うナースの方が来るのだから、きちんと連絡事項を引き継いでもらえなければ困ります。口頭でも何度も伝えて、貼り紙までしてあるのに、他にどんな方法があるんですか。」
と冷静に問い詰めてもきちんとした返事がもらえません。さらにNICUでは一部屋にひとつ備え付けられていたパンプ(母乳搾乳機)も数部屋で共同で使うといわれ、これから大河はますます母乳が必要となってくる時期なのに、あまりにも不公平。

こんなことが続くならナースマネージャーに話してNICUに戻してもらうしかない、と思っていたところに、ラクテーションナース(母乳コンサルティングを専門としているナース)が来てくれました。

それまで冷静だった私も限界で、不公平だと涙ながらに訴えると、特別に他のパンプを私専用に貸してくれました。看護婦さん、看護師さんたちにも話をしてくれたようで、それからは対応がかなりよくなりました。いつも思うことだけど、やっぱりアメリカは主張する文化。訴えなければ自分の思うサービスは受けられないんだなぁ。

2006年05月21日

引っ越し

一昨日の午後、いつもどおり病院へ。
NICU(新生児集中治療室)へ向かう廊下を歩いていたら、すでに顔見知りになっている看護婦さんたちが、
「あ、大河引っ越したのよ〜」
と。え?引っ越し?と聞き返すと、もっと深刻な状況の赤ちゃんが来たので、安定している赤ちゃんはお部屋を移ったとのこと。NICUから、Pediatric(小児科)サイドのお部屋に移っていました。

大河は28週という未熟児のなかでも早い段階で生まれてしまい、呼吸が全くできなかったので、生まれたてはレベル3という深刻な状態でお部屋も一番奥でした。

今度のお部屋は、エレベーターのすぐ近くの入り口側。看護婦さんいわく、
「入り口に近づけば近づくほど、よくなっているってことなのよね〜。」
と。

うーむ、喜んでいいのかな、と思っていたら、こちらのサイドは看護婦さんが少ない。NICUのときは1人の看護婦さんが2人の赤ちゃんを担当したので、比較的よく来てくれたんだけど、小児科サイドは1人で3人の赤ちゃんまたは子どもを担当しているみたい。でも、大河が安定しているというのは、嬉しいことです。


そのあと、先日知り合ったNICUのお母さんとまた会いました。彼女の赤ちゃんは32週で生まれました。状況を聞いてみたら、胎盤を共有している難しい双子だったそうです。その手術ができるお医者さんがこの病院にしかいなかったため、1時間以上離れたところから来ています。帝王切開で誕生後すぐに、双子のうちひとりは亡くなってしまったとのこと。

私のようにずっと順調な妊娠生活で突然早産になってしまうケースもあれば、双子や三つ子、その他いろいろな場合で早産の危険性をずっと恐れながら、ハイリスクの妊娠生活を送ってきたお母さんたちもいるのだなぁと思いました。一人目の陽(あきら)が超安産で生まれたこともあり、正規産を当たり前のように考えていた自分の甘さを反省しました。

 

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