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★ポルトガル在住暦、住むことになった理由を教えてください。
広島大学病院で研究員として留学していたポルトガル人の夫と日本で知り合い、日本で結婚後ポルトに参りました。以来、今春でポルト在住28年になります。
★ポルトガルに暮らし始めた頃にカルチャー・ショックのようなものはありましたか?今までに異文化不適応のような状態になったことはありますか?
ポルトガルは結婚して来た時が初めてでしたが、アメリカやイギリスの生活を僅かの期間ではありますが、覗いたことがありましたし、一般的な生活、文化面では、ショックと言うほどのものはなかったと思います。しかし、ポルト到着時から以後6年間、夫の家族と同居しましたので、その間、異文化人間関係面で不適応状態に陥りそうになった経験はあります。
このような2世代同居による家族関係問題は、日本でも嫁姑の争いごととして取り上げられる問題ですが、世界各国、同じだということを認識した一件です。ただし、わたしの場合は、嫁いじめというものはありませんでした。問題の多くは、恐らく大家族環境に慣れていなかった私自身、当時は日本語と英語しか話せませんでしたので、言葉が通じなかったこと、更に、今と違い1980年代初期にはポルトに住む日本人がひとりもいなかったことから来るホームシックなどに原因したと、今では思っています。
ポルトガルの人は、思ったことをすっぱり口に出す人が多いですから、その場で言い争いのようになったとしても、後はスッキリ。心に残さないでたいてい解決です。ストレスにならないのです。
わたしの場合は、二人目の子どもが生まれることで、同居していた義母の家が手狭になり、同じ通りの15mほど離れたところに引越し、別に 居を構えることによってその問題はスパッと解決しました。以後、毎日のようにお互いの家を入ったり来たり、別居することによって義母とは大変よい関係になりました。
★ポルトガルの好きな点、嫌いな点があったら、それぞれ教えてください。
好きな点:
生活があくせくしていないこと。人間が大らかなこと。
自分自身の意見を持っていて、人がこうだから自分もという物事の図り方をあまりしないこと。
家の中を、特に台所を綺麗に保つこと。
自分の持ち物を古いから、壊れたからと言って簡単に捨てたりせず、修理したりして長い間大切に使うこと。
嫌いな点:しょっちゅう法律や教育制度が変わること。
就職などコネで決められることが多いこと。
書籍が高いこと。
色々な修理工事にプロ意識があまり見られないところ。(頼んで期日を約束してもなかなか来て貰えません。壁のペンキ塗り、修理などにも、未だにわたしは少し不安を覚えます。(笑)かと言って他に方法がないわけですか らほとんど、「ま、いっか」の諦め状態でストレスをためないようにしています。
★長年ポルトガルに暮らしていらっしゃるという視線から、今の日本を見てどう思われますか?ポルトガルの方が住みやすいと思いますか?
日本の将来に不安を覚えます。 ネット新聞を通して今の日本の社会情勢が伝わって来るのですが、流される悪いニュースだけがもちろん全てだとは思っていません。
それでも、時々帰国して街にでる度に、「あれれ?」と思わされる人たちを見かけ、年々その「あれれ?」の頻度が増えています。また、ポルトで20年来、いわゆる帰国子女になる子供達の通う補習校で教えていますが、親御さんも子供達も、近年は、上述の「あら・・・」と思われる事態に出くわすことが多くなりました。子育てに関する考え方が変わってきたのでしょうか。このような状態は決して将来の社会にいいとは思われない変化です。長男が生まれたときは、日本の国の教育は世界でも上位のレベルだと信じていました。教科書の無料配布(ポルトガルでは小学校から自己負担です)、自主学習できる廉価な参考書の数。図工、美術、体育、音楽、家庭科などの教養科目が義務教育課程に取り入れられていること(こちらではこれらは殆ど各個人が習い事としてすることになります。)
無理なこととは分かっていても、小学校教育を日本で受けられたらなぁ、等と密かに思ったことも嘘ではありません。しかし、帰国子女いじめなどの問題が多く取り上げられるようになった頃からでしょうか、なにかおかしいのではないか、と少しづつ思い始め、子供達が高校生になるこ ろには、ポルトガルで教育できたことに却って安心感を持ちました。どういうことかといいますと、子供達にとって現在の日本社会はあまりにも刺激が多すぎる、強すぎる競争社会になっていると思ったのです。刺激の多い社会は、大人にとっては魅力的ですが、子どもの精神面に与える影響を考えるとき、わたしは落ち着いた家庭環境、社会環境が人間形成時期に最も大切なものだと思います。
ファミコンから始まり、今ではゲームに興じない子どもはいないことでしょう。それがポルトガルに入ってきたのは近年です。我が子たちの時代は、テレビ漬け、マンガ漬け、ゲーム漬けなしでしたから、親が子に伝えたいこと、して欲しいことを、じっくり向き合って話したり、一緒にしたりすることができたと思います。刺激はなかったけれど、こうした落ち着いた環境で子供達が成長したことをよかったと今喜んでおります。
ポルトガルの方が住みやすいか、とのご質問ですが、こう思います。若い人達から見れば、ポルトガル人日本人関係なく、日本のような刺激があまりないこと、その気がある若者達にチャンスがないこと、それらの点から、若者には物足りないでしょう。が、年配の人間、つまり落ち着いた生活を好む人にとっては、かなり住みよい国なのではないでしょうか。なんと言っても犯罪はまだ少ない方ですし、お年寄りや女性、お腹の大きい人、小さな子どもにも親切な人が多い国柄です。
教育面では、近年家庭教師をつけたり、学習教室などの進出も増えてきましたが、日本の塾までは行きません。目下のところ、ポルトガルは峻烈な学歴社会になっていませんから、受験戦争なるものも存在しません。国の発展という視点を別にして、わたしには大人にも子どもにもまだ住み安い社会に思えます。
★ポルトガルで最近話題になっている社会問題などありますか?たとえば日本だと、すぐ子どもが切れるとか、人生に目標がない子が多いとか、貧富の格差が広がっているとか、ひきこもりの問題とか、いろいろありますが・・・
イジメ問題、子どもが切れる、という問題はまだでてきていません。ひきこもりも、日本の特質な社会問題として、こちらのテレビ番組で取り上げられることはあっても、今のところ、聞いていません。
ポルトガルの社会問題は、やはり失業率の大きいことです。昨年度の大学卒業生の4万人は職にありつけないと聞きます。ポルトガルの社会は、上記の「嫌いな点」でもあげているのですが、まだまだコネがものを言います。コネがないといい職につけない現実は依然としてあります。こうなるやはり人生の目標を見つけにくいことになります。
近頃は日本同様、大学院へ進む人が俄然増えてきました。これは、5年間の厳しい大学の学業を終えたところで、碌な仕事がない、という現象からも来ていると思います。(ポルトガルの大学は5年制。その学業は日本の比ではありません。学業成績不振なものは容赦なく落第です。みな、苦しみもがいて勉強しやっと卒業にたどり着きます)
貧富の大きな格差は昔から今まで依然として変わりません。「親が貧乏なら子、孫の世代も」と言っても過言ではないと思います。若者にチャンスが少ないということは、この格差は今後拡がることはあっても縮まることはないでしょう。
社会問題のもう一つには、EC加盟で国境がなくなり、多くの東欧からの違法移民が増えたことです。また、中国からの入国者も近年グンと増えました。これらの合法、あるいは違法移民の流入による犯罪率の増加です。またDV(家庭内暴力)も、たくさん挙げられてきています。
★ポルトガル人は、どれくらい日本のことを知っていますか?
「マンガ」「オタク」「ニンテンドー」が、ポルトガル語として定着しつつあるくらいです。特にマンガは、テレビ番組でもそのまま日本語版で放映されたりします。子供達、若者に大いに人気があります。また、キティグッズも、ポルトガルで高価ですが、人気があります。
日本に少しでも興味を持っている人は、かなりのことを知っているでしょう。大学生や空手、柔道を習う社会人に多いです。稽古事を経て、本を読んだり日本を訪れたりしています。ポルトガルではケーブルを引いている人が多いですから、EC諸国のテレビ放送を通じて、日本の情報は結構入りますので。
ポルトガルってどこ?と言う日本人もいますが、ジャパォン(日本)はどこ?という大人のポルトガル人はいないでしょうね^^
★お嬢さんは今日本で大学生生活をエンジョイしていらっしゃるようですが、(今3年生でしょうか?)高校生の時などに体験入学はしたことがあるようですが、実際に日本で1人暮らしをしてみて、何か日本で感じたこと、学んだこと、驚いたこと、などあったでしょうか?何かご存知のエピソードがあるようでしたら教えてください。
娘は来春から3年生になります。高校の体験入学時と違い、一人暮らしをすることによって、生の日本社会を見て学んでいるようです。
行った当初は、毎日のようにその驚きと発見をわたしのHPの掲示板に書き込んでいました。まず、通学電車の混雑。最初の一年間は彼女の叔母(わたしの妹)のすぐ近くにアパートを見つけて通学していたのですが、都心の早稲田まで約1時間半弱。この通学時間には、かなり閉口したようで、昨春都内のアパートに移りました。
大学の授業で日本の大学生が意外と発言しないことに驚いたようです。また、おとなしいのにも、あれ?と思ったようでした。本人はもっと積極的で元気な大学生(特に男子に対して)のイメージを持っていたそうです。こちらの学生は、色々質問します。(娘はその中では物静かで目立たないタイプでした)バイトをすることで学んだのは、日本にも傲慢で失礼な大人がたくさんいる、だそうです。
感動したことはと言いますと、ある朝、授業に出席するためにキャンパスを横切っていたら、目の前の大隈重信公の銅像の前で、ひとりの男子学生が突然立ち止まり「大隈先生,おはようございます!」と大きな声で挨拶する光景を見かけ、あんな学生がいるなんて、すごい!とひどく感動しておりました。そして、「いったいアレは何学部の誰なのか、知りたいものだ」と(笑)
また、日本食品が殆ど手に入らなかった幼児期だったため、どうしても日本食は偏食がちでしたが、それが日本へ行ってから、随分直ったようです。
最後に、自分はほとんど日本人的だと思ってポルトガルで生活してきたようですが、ポルトガルと言う国を離れて初めて、郷愁の念を覚え、ポルトガルのいい点に目を向けたそうです。自分の中にあるポルトガルの部分を、恐らくこれから見直していくことになるのではないかと思います。
★お嬢さんをポルトガルの大学ではなく、日本の大学に進ませたいと思われた理由を教えていただけますか?反対に息子さんが、そうしなかった理由はなんでしょうか?
日本の大学に進ませたいとの計画はわたし達親にはありませんでした。それはあくまでも娘のたっての希望でした。物価の安いポルトガルから物価高の日本へ、しかも日本の教育費はポルトガルの比ではありません。無理なのです。ポルトガルの国立大学の学費は年間1500ユーロ(約23万円)、入学金はありません。まして、当時は息子がリスボン大学で勉強、そちらの送金もあり、経済的負担はあまりにも大きすぎました。
帰国子女物語・大学受験編で書きましたが、これは大変な決心が要ったのでした^^もし、吉本康永氏著「タダで大学を卒業させる法」と言う本に出会わなかったら経済的理由で諦めさせていた可能性が強いです。
バイトをしながら大学生活を、という考え方は一般的にはポルトガルではありません。そんなことをしていたら、何年経っても大学は卒業できないですから。また、バイトもそうそうあるものではありません。何しろ大学を出てすら、仕事がないというのですから。夫を説得するのに娘もわたしも少し苦労しましたが、奨学金がもらえる可能性が大いにあるということ、わたしが生活費の半分はなんとしてでも支えるということ、本人が不足分は学業に支障のない範囲でバイトをするという計画を持ち込んで説得に成功しました。行ってしまえばこちらのもの(笑)、後は、そこは父親です、なんとかしてサポートするということをしっかり見込んでおりました。
娘は日本の高校へ行きたかったようですが、それはさせられませんでした。日本での学生生活は、どういうわけか、彼女の子どもの時からの夢だったようです。補習校も日本からの通信教育も、その夢があればこそ、よく頑張れたのでしょう。
息子は、中学三年の日本の体験入学を機に、自分には合わない社会だと思ったそうです。息子はイギリスか(二人ともポルトのブリティッシュ・スクール出身です)、ポルトガルの大学が希望で、最終的にリスボンを選びました。
★お子さんのバイリンガル教育で一番苦労した点はなんでしょうか?
わたし達の場合は、周囲はポルトガル語、学校は英語、母親とは日本語という3ヶ国語の環境でしたが、ポルトガル語は週に一度、学校の先生をしている方にテキストを説明していただくだけで、後は自然に任せました。
問題はロング・ランの日本語の方でした。補習校も通信教育も、子供達にとってそれがブリティッシュ・スクールの宿題と同じように、自然に取り組めるようになってもらうのが、わたしの目標でした。これは、小学生時代は問題なく運びましたが、中学生になると、ブリティッシュ・スクールの勉強は生半可にはできなくなり、その中でこれまでどおりの日本の勉強を続けることが、少しずつ困難になって行きました。
ここで子供達に安易に妥協すると、たちまちのうちに日本語離れを起こします。
毎日、ともに勉強する気持ちで、子ども達が学校にいる間、わたし自身が先に勉強しておき、子供達に学習を促す、という繰り返しでした。中学生時代の補習校の学習、通信教育を続けていた時が厳しかったように思います。
先日、娘と思い出話に及んだとき、彼女がいいました。
母さん、毎日よくうるさく言ってたわね。台所に立ってる母さんの後ろでしょっちゅう朗読させられて、誤魔化して読むと、「ちょ〜っと待った。そこ、それだったら意味が通らないよ。もういっぺん〜」とすぐ言われたものだ。でも、あんな風にしてもらったおかげで、なんとか日本の大学でやっていけてる。とても感謝してる。ありがとう。
ちょっと気恥ずかしかったですが、こういう風に言われると自分が少しうるさいほどに、補習校、通信教育といって来たのも無駄ではなかったかと、嬉しいです。
★MCFHのサイトをご覧になっている方には、海外在住、国際結婚で片方の親しか日本語を話さない、補習校も近くにないような情況でバイリンガル教育に取り組んでいる方も多くいますが、よく耳にするのが、小さい時は割りとスムーズに行っても、小学3年生くらいから現地の学校やアクティビティーも増え、段々と困難になってしまうということです。その辺のアドバイスがあったら是非よろしく願いいたします。
その情況、とてもよくわかります。今、ポルトにいる方達もやはり同じような問題にぶつかる方が多いのです。小1,2は漢字もたくさんではありませんが、3年生から俄然数が増え、語彙もこれまでの簡単なものから、少しずつ、難しいものに変わっていきます。日本に住んでいればおのずと分かる語彙が、海外では親からしか聞かない日本語の語彙範囲、子ども相手ではどうして平坦な日常会話語彙に留まりがちです。3年生がネックだと思います。
わたしの子供達の場合は、繰り返し出てくる語彙を拾って、なるべく分かりやすく説明するようにしました。そして、教科書の同じところを、スラスラ読めるように何度も朗読してもらいました。スラスラ読めると言うのは、意味を理解していないとできないのです。全部は無理ですが、ここぞと思う箇所は、そうして朗読によって記憶に残るようにしてもらいました。
時間の配分も親の考えである程度、決めさせてもらいました。学校関係のアクティヴィティ、これは交友関係もありますので、なるべく参加します。友達との行き来ですが、金曜日の夜、遅くなるようなお誘いには、申し訳ないけれども、翌日土曜日が補習校ですから補習校の中3を出るまで我慢してもらいました。息子はこれが大いに不満だったようです。仕方ありません。習い事に関しても少し考えなければなりませんでした。空手、スイミング、サッカー、乗馬などのスポーツ系は週に2回、若しくは3回は入ります。よほど時間の配分をうまくしても、それが終わったあとでは、子どもは疲れ切って、現地校の宿題を終えるのが関の山でしょう。
スポーツは長い夏休みにしてもらいました。
娘が5歳から続けたピアノですが、これは、ポルトガルでは無料の国立音楽学校に行くことができましたが、夕方からの時間割で週に3回。日本の勉強を続けるのであれば、これは無理です。
ミュージッシャン、ピアニストになるのなら別です。わたしは割り切り、音楽はいつも身の回りにあり、子供達が生涯楽しめるようになってもらえればいいと考え、週に一度、ピアノの個人レッスンを長いこと続けてもらいました。娘も息子も、今では音楽愛好者です。つまり、全てをとることはできないのです。そうでないと、日本語は中途半端になります。要は、なにに重点をおくか、によると思います。わたしは日本語に重点を置きました。子供達もそんなに大きな抵抗を示さず、ある程度頑張って取り組んできたと思います。それは、幼いときから、「ポルトガル人であると同時に日本人でもある」「日本人であるならば日本語を学ぶ努力をすべきである」これを子供達に話してきました。
日本語学習に取り組むときに、子どもにアイデンティティの話を少ししてみることは大切な一歩だとわたしは思っています。なぜ自分は、時々周囲の友達と同じようにできないのか、それを何となくでも理解してもらうことは、日本語学習を続けていく上で大事なポイントではないかと思います。
「話せればいい」という親御さんが、小学生になってから補習校に送ってくることもよくありますが、その場合は、子どもにとってもかなりの努力が求められます。なかなか難しいのです。わたしのこれまでの経験では、勿論うまく行った例もありますが、たいていはついてくることができず、 ドロップアウトしました。
また、補習校と通信教育、このふたつを平行に学ぶことは、一見時間的に大変だと見受けられがちですが、同じことを二度繰り返すことになり、予習になったり復習になったりして、却って効果があるとわたしは思います。わたしの日本語教育の目標は,「長い人生、万が一、何かが起こって日本へ住むことにならないとも限らない。そのとき、ある程度の日本語ができないと、日本人としては通用しない」「自分は日本語で子供達と意思の伝達をしたい。日本語ならば、自分もなんとか頑張ってある程度指導できるかもしれない」こんなことでした
親も日本語に取り組むという姿勢が大事なのではないかと思います。わたしの場合は、日本語を子供達に教えるというのを、大いに楽しみました。もしかしたら、これは、刺激のない、のどかな生活ができた、ポルトガルにいたがために、あるいはできたのかも知れません。
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現在、早稲田大学に留学中のお嬢さんからの楽しいメールを紹介していただきました。 ★家のチャイムを誰かが鳴らしたら、すぐにドアを開けず「どちらさまですか?」と聞くのよ、と以前母に教わった。
そして一人暮らしを始めた今、たまになるチャイムで外のお人に丁寧に「どちら様でしょうか?」と言うものの、このセリフはどうもわたしの場合あまり役に立たないようだ。というのも、わたしは聞き取りがうまくできず、結局よくわからぬままドアを開けてしまう。 わたし 「はい」
わたし、恐る恐るドアを開けてみると・・・「佐川急便」と書いてある箱が・・・(2004年11月) 醤油18リットル買ってどないする・・・(2004年11月) 「お電話ありがとうございます。こちら、○○書店○○店、スタッフのモイケルがお送りしました!」 ・・・・・ああぁぁー、言ってしまったぁ@@
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大学の課題レポート「バイリンガル教育について」 モイケル 私のなかでは「自分は何人である」という意識はいくつもの出来事によって多く変化してきた。海外に住んでいた頃は容姿が東洋系であることから、周囲の人からはどちらかというと日本人として見られており、また日本人が少ないため目立ちやすく、それによって自分が「日本人」であるという意識がとても強かった。小学校高学年から、マンガや友達に借りた日本のバラエティ番組のビデオなどで日本に強い興味を抱き、地味なポルトガルを退屈にも思い、いつかは日本で暮らしたいと考えていた。 しかし、いざ日本に来て住んでみると、毎日がカルチャー・ショックだった。日本人扱いされているのに、自分はそれに対応できず、そのような扱いをされることでかえって自分は思っていたほど日本人ではないことを痛感した。同時に、はじめて自分の中にしみこんでいる「ポルトガル人」らしさとポルトガルの文化を・・ポルトガルの文化を自覚した。だが、これまでポルトガル人としての自分を否定していた分、自分はポルトガル人であるとも言い切れず、かといって日本人とも思えなかったため、一体なんなのだろうかと考え込むようになったのだ。 ○○らしさというものはあくまで傾向であり、たとえば女の子らしくない女の子や、気の弱いアメリカ人や、典型的なそれとは違う要素を持っている人はたくさんいるだろう。私のように二つの国籍(アイデンティティ)を持っていたほうが、かえって「ポルトガル人だから」と日本人らしからぬ怪しい行動が許されることもある。しかしそんな理由で許してほしくない時もある。外国人として日本語は上手かもしれないが、私は外国人ではなく日本人なのだ、そして日本人としての日本語は下手極まりない、このように考えてしまうのは自分が限りなく「日本人」に近づきたい想いがどこかにあるからだろう。同時に「自分はけして日本人なんかではない」と突っ放すこともしばしばある。時間通りに来る日本の電車も好きだが、時間通りに来てくれないポルトガルのバスも落ち着く。私はどちらにもなることができず、同時にどちらにもなれるのだ。この矛盾に満ちた世界観が私なのであり、国際化が生んだ新たなアイデンティティなのである。
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| 「ずっこけ親子の受験戦記」めざせ夢、日本の大学!より
「親父どの、話があります」と、もいける娘が切り出した。横で聞いてると絶対口出ししたくなる自分を知っているおっかさんは、これも作戦の一環であるのだが、サァーっと身を翻し、台所へお隠れ遊ばします。台所で片付け物をしながら、どういう反応があるかと、おっかさんも胸がドキドキです。 |