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障がいのある子どもと暮らす

自閉症の不思議

Autism Mystery
2002年6月9日 サンノゼ マーキュリー紙 :第1面、14A~16A面 
写真 / Tsutomu Fujita、
記事 / Marian Liu



彼の感情や考えは、周りにとっては謎

 7歳の渡君は、休み時間でごったがえすサンホゼスクールの校庭で、人ごみをさけるかのように1本の木に向かって歩いていた。渡君は、そこでまるでズボンに這い上がってくる蟻でもはらいのけるかのように、不器用な動きで足を揺り動かした。蹴ったり飛んだり、顔は、まるで説明できない欲求不満を払いのけるかのように必死である。
 自閉症の久保渡君は、自分でも理解できない、また人からも理解されることのない場所にたどりつこうと、絶え間なく努力している異国人だ。彼の感情や考えは、周りにいるほとんどすべての人にとって謎だ。
 渡君の母と10歳になる姉が、彼と社会への重要なかけ橋になっている。たとえ彼をケアすることによって、自らの生活が犠牲になることがあっても。

 久保家は、海を隔て、母国である日本を離れ、ここシリコンバレーに、渡君の助けを求めて暮らしてきた。

 

自閉症とは何か

 自閉症は、脳機能に影響を及ぼす発育上の障害。生後3年の間に診断されるのが一般的で、社会との交わり、論理的な思考、想像力、意思の伝達などを妨げる。自閉症である人のなかには、きわめて高い知能指数を持ちながら、単純な考えを説明できない人もいる。
 

治療を求め海外から集まる家族

 関係者によると、久保一家のみならず、よりよい医学的、教育的なサービスを求めて、アジアやその他の国々から、自閉症児とともにシリコンバレーに移り住む家族が増加している。そういったコミュニティのありかたは、自閉症のケースの増加と社会の関心の高まりを反映しているといえよう。ここでは、自閉症の子供の数がふえることで、革新的な援助プログラムも増え始めた。

「日本では難しいのです。」
 渡君の母、由美さんが言う。
「日本ではどこを見てもここよりひどいのです。私はここに住めて幸せです。」
 自閉症児のサービスを受ける目的でここに移民してきた家族の数が、どれくらいになるのかについて確かな統計上の数はない。しかし、シリコンバレーを含むソーシャルサービス地域で、自閉症児の16%が英語を母国語としないという州の統計が暗示的である。

 家族は世界中から集まってきていて、主に、アジアノ中国、日本、台湾、そしてインドが多い。これら諸国では、おうおうにして自閉症などの障害を恥じと思う意識が強い。
「日本では、息子のできないことに焦点が当てられます。」
 由美さんは言う。
「でもここでは、彼に何ができたかが大事なことなのです。」

 


最初に気づいたのは母親

 由美さんは、夫の転勤に伴って1989年に日本からキャンベルに移り住んだ。子供は、2人ともここで出産した。3年前、渡君の父親が、東京勤務を命じられたとき、由美さんは、渡君とその姉、香穂さんと一緒に、ここに留まる決心をした。
 以来、年に数回の父親の訪問時以外、彼女は一人で子供達を育ててきた。

 由美さんが、渡君の異常に気づいたのは、渡君が1歳の誕生日の時だった。ケーキのろうそうの灯を吹き消したり、プレゼントをあけたりするのが待ちきれないふつうの子と違って、渡君は、まったく関心を示さなかった。由美さんは何かが、どこかが、ふつうの子と違うと思ってきた。
「あの子はいつもシリアスな表情だったんです。」
 由美さんは言う。18ヶ月になった渡君が、何の表情も表さなくなって、由美さんの心配はつのった。
ニコニコすることもく、笑い声をあげることも少なかったのです。」

 由美さんは、渡君を病院につれて行く一方で、自分でリサーチも始めた。しかし、誰も由美さんの疑念を晴らしてはくれなかった。2歳になって、初めて自閉症と診断された時の由美さんの気持ちは、怒りでも悲しみでも落胆でもない。むしろ、これで渡君に何かをしてやれるという安堵の気持ちだったと言う。
「一番大切なことは、渡君が私の息子だっていうことです。」
 由美さんは言う。
「自閉症と診断されたからといって、それは変わりません。」


誕生日のお祝い

自分の誕生日の日に渡君にロウソクの吹き消し方を教える由美さん。  


彼独特の主義

 渡君は、軽い自閉症と診断された。誰かが故意に渡君の世界に入ろうとしないかぎり、すべてをシャットアウトしてしまう傾向がある。日常すでに慣例となっていることや、自分の好きなことになら、少しずつ心を開いてくれ、くすぐってもらいたがったり、短い会話も始める。
「私はワタイズムと呼んでいるのです。」
 由美さんは言う。それは、例えば、出会った女の子にうっとりしたり、いつ何時でもおもちゃの汽車を買うというわけにはいかないという事実を拒否したりする彼独特の主義のことだ。

 渡君は、テレビをほとんど画面に顔がくっつく近さで見入るし、回り続ける汽車の車輪をもとめて、家を飛び出したりする。

 自閉症児に一般に見られる傾向には、言語の受容、表現の困難、動作の反復、感覚器官の異常、社会性の発育の遅れなどがある。例えば知覚器官を例に取れば、あるタイプの感覚刺激を繰り返し切望することがある。渡君の場合は汽車の車輪だが、とりつかれたように何かを見たがるようになる。

 また、時にはくすぐってもらいたがることで示されるように、人と接触することを切望することもある。ほかの自閉症児同様、渡君はつねに何かを欲しがり、思い通りにならないとかんしゃくを起こす。また変化を好まず、くつの並べ方、宿題用紙の重ね方、ヘアカットの仕方にいたるまで、すべてにおいていつもと同じでなければならない。

 渡君が家族とディズニーランドに行った時、渡君は、周りの混雑に耐え切れず、叫び声をあげ始めた。もし、由美さんが大きな声で怒鳴ったら、渡君は、自分のしたことではなく、彼自身の存在に怒りをむけられたと誤解したかもしれない。
 渡君をなだめるのに、由美さんはほかの子供では考えられないことをした。渡君を逆さに持ち上げて、宙吊りにしたのである。空間での体の位置の変化と、由美さんとの接触が渡君を静めた。 


誤解されることが多い

 彼の知覚作用と反応は、通常とは異なっているため、渡君はよく誤解を受ける。
 ある時、学校の特殊学級のクラスで、渡君のぬり絵と、ほかの子供のぬり絵が入れ違ってしまったことがある。ほかの子供はそのことに気づかなかったが、渡君は、自分の塗り絵を取り戻そうとするあまり、その子をなぐってしまった。渡君は、自分の言葉でなぜそうしたのかを説明することができない。先生は、すぐに渡君をほかの生徒から離れた机に追いやった。


ひとりひとりのプログラム

 現在、ラティマー小学校で渡君が受けているのは、彼のために作られたプログラムである。どの子供もその子の障害のレベルに合った課題を与えられている。特殊学級には、8名の子供がいて、時々ほかの子供と接触するために、普通の1年生クラスにも参加する。
 5年前、サンタクララ郡は、自閉症プログラムとして、3つの学級を発足させた。普通の小学校での自閉症児のためだけのプログラムだ。そのプログラムを受ける子供はサンタクララ郡に居住していなければならない。

 現在、郡には、30のクラスがあり、子供8人につき教師が1人、ヘルプが2人の割合で運営されている。また、オキペーショナルセラピストやスピーチセラピスト、そして、親によって構成される顧問グループなどからの支援がある。渡君の教師、ベロニカスペクターは、注意深くそれぞれの子供の発達状況を見守り、それを個々のバインダーにすべて記録している。おやつの時間を含めて、すべての活動が学ぶ時間につながているのだ。
「食べることって、学ぶのにすごくいい機会だと思いませんか?」
とスペクターが言う。

 おやつの時間、彼女はチップスやポップコーンが入った袋と、アップルジュースを取り出した。そして、渡君をはじめ、子供達の前に、お金が入った入れ物をいくつか並べた。おやつが食べたい時、子供達はお金を払うか、ある決まったやり方でお願いしなければならないのだ。こうして子供達は、コミュニケーションと算数の両方を学習していく。
「ポップコーンをいただけますかs?」
 渡君が尋ねる。彼は今、名詞の複数形を習っているので、プリーズにもsをつけてしまう。
「プリーズにはsはつけませんよ。」
と訂正したあと、スペクターは渡君に50セント硬貨で払うように促す。代わりに渡君は、10セント硬貨を5つ数えた。10セント硬貨5つを数えるのは、25セント硬貨2つよりもむずかしい。スペクターが渡君をほめると、にっこりした。

  
       
◆7歳の渡君は、画面に顔がくっつきそうになるまでテレビに近づいてビデオに見入る。
2 歳のときに自閉症と診断され、車輪のように絶えず反復する動きに強い興味を示す。


解けないパズルの謎が解けたとき

 渡君を育てていくのは、フルタイムの仕事だ。すべてが、渡君のために犠牲になる。
「彼は解けないパズルみたい」
と由美さんは言う。でも、なぞが1つ解けるたびに、渡君の世界にその分だけ入り込めた、と由美さんは意気揚揚と笑う。

 渡君の1日は、教師や由美さんによる学習の時間でいっぱいだ。由美さんは1日中、渡君のあとを追いかけ、彼があとに散らかしていくおもちゃや着るものを拾い上げていく。
「私の幸せの80%が、渡君から来ているんです。」
と由美さんは言う
「誰にも理想の生き方があるでしょう。私は人と違った幸せをみつけたのです。」


長女への影響

 由美さんは、よく娘と過ごす時間が足りないのではないかと心配する。でも渡君の自閉症によって、10歳になる姉の香穂さんは、ほかの同じ年齢の子供よりもずっと辛抱強いと付け加えた。
「香穂は決して渡君のことで、いらだったりしません。香穂は、生まれつき優しい気持ちを持っているのです。母のためにいい子でありたい、心配をかけたくないと思っています。もし、渡君がいなかったら、あんなにいい子ではなかったかもしれません。」

 また、香穂さんは、自分の弟についてとてもオープンである。弟のことを友達にも隠さず話している。いろんな意味で、弟のことが自慢でもある。香穂さんの好きな時は、車のなかで本を読んでやっている時に、渡君が香穂さんの言葉に強い興味を示す時だ。
「弟が自閉症だっていうこと、好きなときもあるんだ」と香穂さんは言う。
「一緒にいろいろできるし、ほかの子の弟みたいに、いろいろうるさく聞かないしね。」
 姉といる時に、渡君が気に入っているのは、姉にくすぐってもらうことだ。よく香穂さんのまん前に突き進んで来て要求する。
「くすぐってー」


アメリカに留まったのは正解

 ある専門家は、自閉症児をかかえる家族にとって、特定の場所にヘルプを求めることが、必ずしもうまく作用するとは限らないと忠告する。
「いろんな人が、いろんな場所から奇跡を求めてやって来る」

 自閉症の分野で30年貢献してきたカリフォルニア大学サンフランシスコ校の精神医学の教授、シーゲル博士はこう語る。
「彼らは言うんです。もし、これをやったら、もし、あれをやってみたら、ものすごく効果があるんじゃないかって。でも、親が何を試してみても、治療法がどんなに変化に富んでいても、結局、子供の脳の中で起きていることに係わってくるんです。」
 けれど、由美さんにとって、シリコンバレーに留まったのは正しい選択だった。日本であったら、もっと違った人生になっただろうと彼女は言う。
「小学1年生の渡は、ボキャブラリーと2年生レベルの算数を勉強しています。けれど、これが日本だったら、どちらか1つでも習うことができたのか疑問に思います。」


親が恥じれば、教育する側も育たない

 日本自閉症協会の東京支部長の古野晋一郎氏は、日本では、自閉症があまり理解されていないため、自閉症のが、学校や福祉関係の職場に混じると、そこの職員たちは、どう彼らに対処していいのかわからないと言う。
 由美さんは、これを鶏と卵の問題だと説明する。親は、子供が自閉症であることを恥じて助けを求めて出てこない。だから、教育する側も、成長することができないのだという。
由美さんの友人の松波千春さんは、
「日本人は、既成のものから外れたくない。良くも悪くも、人と違うと見下げられる。なぜなら日本人は、人と同じであろうと努力する国民だからだ」
と言う。


日米の架け橋めざす支援会

 障害を持っている子供達のサンタクララ日本人支援グループを率いるローエンスタイン一枝さんは、「日本では受け入れてもらうのがむずかしいのです。」と言う
「まだまだ障害を持つ人が、特別視されるのです。ここでは、一般社会にもっと広く受け入れられています。障害が1つの個性として見てもらえるのです。」

 ほかの日本人の親たちを支援するために、由美さんはParents Help Parentsに所属している。PHPは障害を持つ子供達の親がお互いに助け合えるよう設立された非営利団体である。
このグループを率いるローエンスタイン一枝さんは、障害を持つ2人の息子によりよい教育を受けさせるために、ここに移り住んだ一人である。

「日本の学校は、助けにはなりませんでした。それでアメリカに移住することを勧められたのです。アメリカの特殊学級教育のおかげで、2人の息子たちは十分なサポートを受け、本当に恩恵を受けることができました。」

 ローエンスタイン一枝さんは
「いつか日本とアメリカの間にまたがるギャップの掛け橋になりたい」と望んでいる。すでに日本の役人たちをサンタクララに招いたり、日本人学生がアメリカで自閉症について学び、その知識を日本に持って帰って役に立てるためのインターンシップの計画も始めている。


家族同士のつながり

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 サンノゼのサントーマス公園で、Prents Help Parents 主催の自閉症を持つ家族の運動会が行われた。最終種目であるつなひきに参加する由美さんと親友の仲本博子さんは、2年前からこの行事を企画、運営している。


自閉症であることを隠さない

 自閉症児を持つ親たちに一言アドバイスをと尋ねられて由美さんは言う。
「自閉症であることを隠さないことです。そうでないと、社会はいつまでも自閉症は、どのようなものかわかってくれず、自分や子供が、不当な扱いを受けた時に、みじめになるばかりです。
研究が続いていけば、ある日、渡君の世界がぱっと開くかもしれない。
「どうして、自分のところに渡君がいるのかとよく考えるのだけれど・・」
と由美さんは言う。

「(渡君が我が家にいるということは)、私はとっても恵まれているんです」


訳:宮本三恵子


質問、問い合わせは,ご遠慮なく久保由美さんまで
Email: yumigremlin@gmail.com

財団法人母子衛生研究会 海外出産子育てインフォ

ミュージックの1ヶ月集中クラス


トニー君の住む町では、夏休みになると、誰もが参加できる合奏の短期集中クラスが開かれる。一ヶ月間、月曜日から金曜日の朝8時から12時まで、みっちり合奏の練習をするのだ。

他の町では、このようなクラスには、選ばれた子どもしか参加できないが、この町では、希望する子どもは、障害があってもなくても参加することができる。

トニー君は、このクラスに2年連続で参加していたので、合奏の雰囲気にはとてもよく慣れていた。母親は、連日、トニー君につきそって、「勝手に音を出してはいけないとき」、「静かに座っていなければいけないとき」などを教えていった。

こんなエピソードもある。
ヴァイオリンは、普通、いちばん最初に音を出すときに、弦を上からさっと振りおろすように下に引いて音を出す。そのときの指揮者からの指示は、「ダウン」。
だが、ある日、それまでとは違って、例外的に弦を下から上に一気に引いて音を出さなければならない練習になった。そのときの支持は、「アップ」。
ところが、トニー君は、「アップ」と言われたとき、弦を下から上に引くのではなく、「手を上に上げろ」といわれたと思って、思わず弦を持ったまま手を上げてしまった。

それを見て、担当者の人は、思わずにっこりしていたという。障害があってもなくても、平等に子どもたちを受け入れているサンノゼの夏の音楽教室は、音楽の技術を伸ばすだけでなく、人の心を育てることが第一の目的に違いない。

エイド(学校の補助スタッフ)

エイド 補助スタッフ
特殊学級から通給している子どもには、ひとりひとりにエイドがついている。エイドは、現在のところ、特に資格は必要とされていないが、来年度から資格制度になることが検討されている。

エイドは、子どもの発達を促し、助けることを目的としておかれている。子どもとの距離が近すぎたり、情が移ってあまくなってしまうと、担当をはずされてしまうこともある。

トニーのエイドは、あと1年で定年になる女性だ。野球のレクでは、トニーが球を打つと、いっしょに走ったりと、いっしょう懸命にエイドに取り組む。
だが、特殊クラスの担任は、トニーとの距離が近すぎ、トニーに甘えができてしまっている。もっと厳しいエイドにしたほうが、トニーの能力が伸びると判断している。
エイドは、親には、トニーのことが大好きなこと、これからは、トニーに厳しくすること、今年はトニーとは2年目だが、来年、もう一度トニーのエイドになって、それから引退したいと言ってきた。そして、それでも、納得してもらえないなら、担当を変わることを覚悟しているとも。
両親は、そこまでトニーのことを思ってくれている彼女を、もう1年担当とさせたいと考えているが、担任は、最初だけでもいいので、厳しいエイドにしてみてはどうかと提案し続けている。最終判断は、現在、コーディネイト役の担任が行うことになっている。

こんな音楽の先生もいる

カリフォルニア視察から

カリフォルニア在住のトニー君は、高機能自閉症の診断を受けています。小学校の普通学級に入りながら、特殊クラスにも参加している事で、たくさんのクラスメイトがいます。

これは、トニー君がオーケストラのクラスに参加させたおかあさんの体験談です。


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 トニー君のお母さんは、3年生のときに、トニー君をオーケストラ(合奏)のクラスに参加させたくて、申し込みをした。ところが、音楽の担当の男の先生は、

「まだ始めるには早すぎると思いますが」

と、いろいろと理由を言って、トニー君を受け入れたがらなかった。そこでお母さんは、

「自閉症の子は、一生、自閉症なんです。来年になっても、彼は今年と同じです。だったら、今年、受け入れても同じことです」

と、あくまでもオーケストラのクラスへ入れようとした。

 なかなかうんと言わない優柔不断な先生に腹を立てたお母さんは、学年主任や特殊クラスの先生に訴え、なんとか、最終的に、音楽の先生から許可を得た。ところが、学期が始まってみると、合奏クラスの名簿の中にトニー君の名前が入っていなくて、また激怒。とにかく、トニー君をそのクラスの中に入れた。

 ところが、クラスが始まった次のときに、先生が、

「トニー君ですが、とても危なっかしくて見ていられません!」と苦情を言ってきた。お母さんが察するに、トニー君はヴァイオリンを弾いているんだけど、体のバランスをうまくとることができないので、倒れそうになっているのか、それとも、ヴァイオリンの弦を振り回して、クラスメイトに迷惑をかけているのかもしれなかった。

 文句タラタラの先生を無視しているうちに1ヶ月ほどがたった。ある日、合奏のクラスの子どもたちは、郊外学習に出かけていった。トニー君は、用があってみんなとは出かけなかったので、合奏のクラスは、トニー君ひとりだけの参加となった。

 その日、トニー君を迎えに来たお母さんに、先生はこう興奮しながら言った。

「トニー君に、あんなに素晴らしい音楽の才能があるとは気がつきませんでした。いや〜、ワンダフルでした」

 実は、トニー君のお母さんは、高校で音楽を教えていた先生。今は、私立小学校で教えている。トニー君のお父さんは、トランペット愛好家で、両親そろって音楽家なのだ。

お母さんは、トニー君には、小さなころからヴァイオリンを「鬼のように教えてきた」。毎年、夏には、1ヶ月間毎日合奏のクラスにも通わせてきている。もともと音楽の才能があるところへ、十分すぎるほどの音楽の環境があり、才能を十分に延ばすことができているのだ。

トニー君の才能に気がついて以来、まるで手のひらを返すようにトニー君には寛大になったという先生だが、お母さんとしては、信用しがたいということで、ペケ印がついたままらしい。

脳性まひの子どもをホームスクールで育てる

カリフォルニア州のサンフランシスコから車で1時間ぐらいのところに住むリンダさん一家には、現在、19歳、17歳、16歳、10歳の子どもたちがいます。

いちばん下の、女の子のミッシェルちゃんは、脳性まひという障害を抱えて生まれてきたため、生後1年間の間に5回手術を受けなければなりません。現在、知的に大きな遅れがあり、また足にも障害があるため、学習でも生活でも、第三者の助けが常時必要です。

ミッシェルちゃんが生まれるまでは、上の子どもたち3人は、一度も幼稚園や学校へ行くことなくホームスクールで育ってきました。ですが、緊急入院が度重なり、ホームスクールは断念せざるをえなくなり、子どもたちはその後、学校へ通っています。

4人の子どもを育ててきたこと、3番目の男の子が学習障害があること、4番目の女の子が重い脳性まひであることから、リンダさんの苦労は並大抵ではありません。そんなリンダさんの家でインタビューをさせていただきました。

ミッシェルちゃんは、茶色い髪のとても愛くるしい女の子です。ニコニコしていて、とてもしっかりとした感じがあり、外国からお客さんがきているにもかかわらず、自信を持って学習している場面を見せてくれました。

リンダさんにとってのミッシェルちゃんの現在の目標は、勉強をするときに、周りに手伝ってもらわずに、ひとりで学習ができるようになることです。

キッチンにある大きなテーブルには、ミッシェルちゃんが使ういろいろな教材が置いてありました。その日の午前中の科目は、算数と理科、国語でした。
算数は、掛け算の勉強です。
リンダ「いつもこれを使って勉強するのよ」
そう言って、手のひらサイズの長方形の板を取り出しました。
リンダ「ミッシェル。どうやって使うか、見せてあげてね」
板には両端に9個ずつのくぼみがあり、左右のくぼみにある順番で糸をかけていくと、九九の勉強ができます。日本とは違って、道具と、目や指を使って体験的に覚えていきます。これは、ホームスクーラーにとっては、とても人気ある道具の一つです。
(アメリカでは、九九表はありますが、2かける2は4、というように、ひとつひとつ覚えていきます。ににんがし のようなお経式の九九はありません。)

ミッシェルちゃんが、上手に板の使い方をデモンストレーションすると、
「ありがとう、ミッシェル。とても良くできたわ。さあ、ここに問題があるから解いてみてね。」
10分ぐらいして、ひととおり簡単な練習が終わりました。リンダさんは、ミッシェルちゃんに、大きな声で、大変にゆっくりと、はっきりとした声で話しかけます。
「ミッシェル、できたかどうか、お母さんに見せてね。・・・全部できているわ。よくできたわ。えらいわよ。じゃあ次は、理科の復習よ。昨日やったところね」

いつもは台所でできる簡単な実験が多いようですが、この日は、ドリル式の教科書で問題を解きました。
「ミッシェル。できたかしら。どらどら見せて。(見せてくれて)ありがとう。・・・オ〜ケイ。ちゃんと解けてるわね。よく努力しているわ。」
1ページが終わったので、次は国語です。この日は、簡単な文章を作る練習をします。
「どう? 文章はちゃんと作れたかしら? ・・・・なかなかいいわね。でも、もう少しほかの単語を入れてみると、もっとわかりやすくなるわ。ちょっとトライしてみるといいわ。できるかしら? あなたならできるわ」
ここまでがひとつのサイクルです。
「とてもよくできたわ。(一生懸命勉強してくれて)ありがとう。たいしたものよ。そろそろ休憩タイムだけど、どうする?」
「ちょっと休む。」
「そう、ジュース、いる?・・・」
10分間ほど休憩があり、トイレへ行ったりおやつを食べます。部屋の中では、車椅子や松葉づえは使わず、ミッシェルちゃんは、床の上を手を使って移動します。
そして、休憩後は、また算数の練習が始まります。
「次は、さっきの九九をドリルでやりましょう。ひとりでできるかしら?」
「うん」
「じゃあ、ここの問題からね。がんばって。」
式教科書を使ってさきほどの九九を使って計算をときます。10分ほどして、問題を3つほど終えると、
「さあ、どうだった? 見せてね。(見せてくれて)ありがとう。とてもよくできているわ。でも、ここの答えがひとつ違っているわ。もう一度トライしてみない?」
そして、このあとに、理科と国語が続きます。

 2人の勉強する姿を見ていて感じたのは、リンダさんの忍耐力のすごさ。声はいつも、ゆっくりで大きく、はっきりとしています。そして、10分から15分感覚で、ひとつずつていねいに科目をこなさせていくのです。
 これは、学校の特殊クラスで使われる手法より、さらに丁寧で細かい作業です。研究機関では、たくさんの研究者や教師がこのやり方を何年もかけて、このような手法をあみだしてきたのですが、リンダさんは、経験的にミッシェルちゃんからこの方法を学んだそうです。10人の研究者よりも、ひとりの忍耐強い母親のほうが、より実践的な手法を体験的に早く習得できるということだと思いました。

 とても勉強になったのは、「認める」「ほめる」「励ます」の接し方です。全部できたときには、いっぱいほめる。間違っていても、その問題に挑戦したことをまずほめる。それから、間違ったところを指摘して、もう一度、トライするように励ます。それをあきることなく延々と繰り返すのです。
 ミッシェルちゃんは、とても素直な良い子で、お母さんにほめられながら、ニコニコしながら問題を解いていました。毎日がハッピータイムに過ぎるのではないのでしょうが、教え方の基本が、楽しい、子どもを尊重し認める、忍耐強い、子どもを信じる、子どもをあきさせない、常に進歩があることを子どもに感じさせるということで、子どもには、充実した時間です。

 リンダさんのミッシェルちゃんとの勉強の仕方は、この町の障害をもつ親の間では、モデルケースとしてとても有名です。教え方もすばらしいのですが、子どもへの接し方、そして、生き方は、たくさんの家族に勇気を与えてくれています。
では、いったいどのような過程が、今のリンダさんをここまで育てたのでしょう? それにはいくつかの要因があります。

ひとつは、上の3人の子どもをホームスクールで育ててきたため、勉強のさせ方をよく知っていたことです。
「ホームスクール始めようと思ったのは、長女が幼稚園に入る歳半のときだったわ。とても利発な子だったけれど、体も他の子に比べて小さく、とても恥ずかしがり屋だったことから、幼稚園に入れないほうが良いと思ったの。でも、回りの人達と交流することで、いろいろな影響を受けることはとても重要だと思っていたので、1年間だけホームスクールをすることにしたわ。
周りにはホームスクールをしている家族があって、4家族だったんだけど、みんなで見学に出かけたり、お互いに教えあったりしたの。とてもそのやり方が気に入って、長女が中学2年のときまで、ずっとホームスクールをしたわ。11年ぐらいかしら。」

ホームスクールでは、義務として、いろいろな科目を子どもたちと一緒にこなしてきました。楽しく!がモットーで、体験学習を教科書に結び付けていくというやり方でした。

リンダさんは、かつて3人の子どもたちがまだホームスクールをしていたころの人体学についての手作り作品を見せてくれました。それは、子どもたち自身の人体図でした。
「たとえば、体の仕組みについて学ぶときは、まず、図書館から、体の中の図解が描いてある本を借りて、それを読ませるの。次に、それを体験的に学べるように、大きな模造紙に自分の体の輪郭を描かせたわ。壁に模造紙を貼り付けて、その前に立って、ほかのきょうだいに、輪郭を描いてもらうの。
その後、脳、心臓、腸、骨の絵をコピーしてきて、それぞれ自分たちの人体の中に、貼り付けていくのよ。
手のひらに絵の具をつけて、それを模造紙に押し絵のようにギュッと押し付けるの。」
手を見ると、5本の指の指紋がきれいにあってびっくり。
「指紋作りは、子どもたちには大好評だったわ。やり方は、警察がやっている方法を本で調べたの。自分の指を鉛筆で真っ黒に塗り、セロハンテープでコピーをとって、それを模造紙の自分の手の指のところに、ギュット押し付けるのよ。これで、完璧な指紋がとれるわ。
関節について学ぶときは、鶏肉をボイルさせて関節を取り出して、それを観察させたの。においは、フィルムケースに物を入れて、においをかがせたわ。」
「うわ〜、すごいですね。ほかに、印象深い体験学習はありますか?」
「ええ、たくさん!  脳は、牛の脳をスーパーで買ってきて、それを解剖したわ。脳の図には、色塗りもさせたの」
「え〜! 気持ち悪くありませんでした?」
「ちょっとね。魚も解剖したことがあるわ。
そうそう、子どもたちが今でもよく覚えている実験があるわ。
 知り合いがいるある学校では、動物を使った研究をしていたの。あるとき、いらない解剖用の豚があるけど、欲しいか?と 聞かれ、もちろんと答えて、車でと取りに行ったの。
冷凍された子豚だったんだけど、それをホームスクールの仲間といっしょに、台所のテーブルで解剖しまの。
よしこ「子どもたちの反応はどうでしたか? 気持ち悪いとか言ってませんでしたか?」
リンダ「私も、子どもたちが気持ち悪がるかと思っていたけど、みんなドキドキはしていたけど喜んでたわ。
よしこ「誰が第一刀を入れたんですか?」
リンダ「わたし」
よしこ「勇気ありましたね。」
リンダ「今から思えば、よくやったと思う。皮膚を切って、その中をのぞくと内臓があったの。誰かが、心臓の位置を知りたいというので、つまようじを突き刺して、皮膚から心臓までの距離を測ったの。そのあと、ひとつひとつの内臓の位置を確かめて、取り出して観察したわ。

息子が、肺の中に自転車の空気入れで空気を入れたいと提案したの。みんなびっくりしたけど、やってみようっていうことになったの。実際にやってみると、肺は驚くぐらいに風船みたいにふくれたわ。その様子はビデオにおさめてあるけど、息子は、今でのその様子を忘れないって言っている。
こうやって、体の中の名称や仕組みを勉強したときには、それを人体学、さらに解剖学までに発展させたの。
夜になると、昼はいっしょに参加できなかった父親が、子どもたちが作ったポスターや作品を見て、それを話題にして話をしてくれたわ。父親に報告することで、記憶がもっと深まるの。」

「最初のころは、朝の7時から夜中の12時まで、家事をこなしながら3人の子どもたちをホームスクールで育ててきたわ。当時は、本当に大変だった。でも、子どもたちが大きくなると、自分でやりたいことをみつけて、自学自習できるようになってきたわ。
結果的にいろいろな面で芽が出て、子どもたちが自信をもつことができるようになったわ。
子どもは、ひとりひとり学び方が違うわ。机に向かって学ぶ子もいれば、体を使って覚える子もいる。
長男は、カードを使って足し算の問題を出していたけど、九九は、室内用のトランポリンでジャンプしながら覚えたの。

次男は、私が、物語や歴史の本を読んでやっている間、カードやレゴとかゲームをしていたわ。何も聞いていなかっただろうと思って、読み終えたあとに、本の内容について質問してみたら、ちゃんと答えたのでびっくり。次男は、学習障害があるけれど、体を動かしながら、話を聞いたり、何かを学ぶことができるるのよ。」

18歳の学習障害のあるサラさん

アメリカのカリフォルニア州サンノゼの近くに住むサラさんは、現在18
歳で、コミュニティーカレッジと呼ばれる2年制の大学に通っています。
親御さんは、アフガニスタンからの難民で、サラさんは、アメリカ生ま
れです。


サラさんの小学生時代ですが、いつも授業についていけず、親は先生
からいつも呼び出しをされていました。

小学4年生のとき、サラさんは、学習障害と診断され、特殊クラスに入
れられました。ですが、先生に恵まれず、授業で質問してもきちんと
答えてくれず、辛い思いをしました。
そんなときは、普通クラスの先生たちに相談することにしていました。
というのは、その先生たちのほうがきちんと対応してくれたからです。

親はというと、祖国で十分な教育を受けてこなかったという理由で、
サラさんの勉強を手伝うことはなく、それも辛かったといいます。
というのは、アメリカでは、学校にもよりますが、多くの親は、
子どもの宿題を毎日、きちんとみてやり、学習に遅れが出ないよう
とても配慮しているからです。

中学になると、最初の2年間は、籍は特殊クラスに置きつつ、通常は、
普通学級に出席し、科目によっては、特殊クラスに戻るという学習方
法をとっていました。

サラさんの障害は、たとえば、長期的な記憶力は良いのですが、短期
的な記憶力が弱いということでした。このため、試験の1週間前から
毎日6時間も勉強してきたのに、テスト用紙を目の前にすると、一部
の情報を除いて他の情報はすべて消えてしまうということをずっと体
験してきました。
どんなに真面目に努力をしても、良い結果が得られないため、そんな
自分に対し、いつも怒りとストレスを感じ、また、救いがたい自己嫌
悪にも陥ってしまいました。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

中学3年の14歳の時、プログラムが変わり、通常は、普通クラスで
勉強して、数学と国語(作文)は、特殊クラスではなく、補修クラス
で勉強するようになりました。

特殊クラスと補修クラスの違いは、特殊クラスは、障害のある生徒た
ちが、ひとつの教室で一緒に授業を受けるのに対し、補修クラスでは、
学生一人につき先生がひとりついて、マンツーマン指導を行います。

サラさんは、補修クラスでは、数学と作文以外に、学習計画をたてる
指導も受けました。そこでは、主に、理論的に計画を立てる方法を習
いました。

そのときに出会った日系3世の学習障害専門の教師のアシザワ ローラ
先生の指導が、サラさんの人生を大きく変えることになりました。

サラさんは、それまで人に対し、「ノー」と言うことができませんで
した。というのは、「ノー」と言ってしまうと、相手の人がそれを気
にして、良い関係ができないと思っていたからです。
それで、たとえ自分の答えが「ノー」であっても、いつも必ず「イエ
ス」と答えてしまいました。
結果的には、わかっていないことでも「わかります」ということにな
ってしまうため、周りの人にきちんと自分の気持ちや考えを伝えるこ
とができずにいました。

ですが、ローラ先生の指導の後、人は、自分が思っているほど「ノー」
に対して、深く反応するわけではないということに気が付きました。

そして、これがきっかけで物事に対する考え方が大きく変わっていきま
した。いちばんの変化は、自分の人生は、親に頼るのではなく、自分で
切り開いていかなければならないということに気が付いたことでした。

それからは、自分に対してもだんだんと自信が出てきて、自分の意見
を人に言えるようになりました。

友達関係は、それまでは、いつも身近な人ととのつきあいしかできま
せんでしたが、高校3年生になるころには、いろいろな人と交流
できるようになりました。今では、友達とショッピングにでかけたり、
年頃の若い女の子の話題などを友達同士で語り合っています。

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現在は、学習障害やコミュニケーション障害、身体にハンディキャップ
のある人たちのための特殊プログラムがある、サンフランシスコ近くの
2年制のコミュニティーカレッジに通っています。

特殊プログラムがあるおかげで、サラさんは、自分に合った学習計画や
カウンセリングを受けることができています。また、試験も、一般の学
生のように短時間で答えを出すことができないことから、本来は1時間の
試験時間を3時間に延長してもらうなどの配慮を受けています。


サラさんの大学生活は、今、勉強ひとすじです。というのは、半年後の
秋には、4年生の大学へ編入したいと考えているからです。

このため、1学期間には16単位分の授業に参加するのが普通なのです
が、今学期は22単位分の授業に出ています。勉強は、朝8時の授業で
始まり、午後は図書館に移動し、夜10時までは勉強をしなければなり
ません。

その合間にも、アルバイトをしたり、家の手伝いもあり、多忙な日々を
送っています。

将来、4年制大学で何を専攻したいのかは、まだ決まっていません。で
すが、当面の目標は、大学での勉強と決め、夢に向かって前進しています。

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サラさんとのインタビューは、ローラ先生の自宅で行われましたが、当日、
自分で車を運転してやって来ました。

14歳当時のサラさんを知っているローラ先生は、サラさんが、免許が取れ
るぐらいに、いろいろな面で進歩したことにとても驚いていました。

その日、サラさんは、出かける前に、母親から食後の食器の洗い方が良く
ないと、さんざん叱られてしまったそうです。サラさんの母親は、家事に
ついては大変に厳格で、サラさんに完璧を求めてくるため、細かいことが
苦手なサラさんにとっては、小さな頃からの悩みの種のひとつとなってい
ます。

でも、家事にうるさい母親を持つことで、今後、自立して生活するとき、
料理や洗濯、そうじなど、身の回りのことができることに対し、自信を持
ってのぞむことができそうです。

真面目で、勉強に一生懸命なサラさんのことを、ローラ先生は、こう語っ
ています。
「私のたくさんの生徒の中でも、サラさんは、とても頑張り屋で優秀な学生
です。彼女に出会ったのは、彼女が14歳のときでしたが、その年は、人生
の中でも大きな変わり目だったと思います。

彼女は、これまでものすごく苦労をしてきましたが、自分の考え方をしっか
りともって生きています。ですから、きっと4年生大学にも編入できるだろ
うし、就職しても、結婚しても、なんとか自分でやっていけるに違いないと
信じています。」

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★ Chabot college 情報 http://www.chabot.org
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◆大学名 Chabot college 

◆場所: カリフォルニア州 サンフランシスコ近郊 Hayward

◆学科:
会計学、建築学、芸術、自動車関係の技術、行動学、生物、ビジネス、
化学、コーチング、コンピューター関係、歯科衛生士、幼児教育、
エンジニア、英文学、フィットネスインストラクター、フランス語、
グラフィックデザイン、健康学、インテリアデザイン、国際関係学、機械、
マーケティング、マスコミュニケーション、数学、医療補助、音楽、
看護学、写真、体育、物理、ラジオとテレビのブロードキャスト、
心理学、カウンセリング、不動産学、セキュリティー、社会学、スペ
イン語、スポーツによるけがのケア、デザイン学、工具製作などなど

◆学生数:約1万5千人 
高校を出て入ってきた1〜2年生は約半数で、あとの約半数が社会人。
昼間部にフルタイムで通っている学生は半分。それ以外の学生は、昼
間部と夜間部両方だったり、夜間部、または、数単位だけをとるパート
タイムの学生。

◆特殊プログラムのある部署:
     DSRC Disabled Students Resoruce Center

◆特殊プログラムの対象者: 

身体的に障害のある人、コミュニケーションや心理的障害、そして、また
は、学習障害のある人
プログラムでは、障害に関する評価や、カウンセリング、教育計画などの
ほか、通学用の車、車椅子、パソコン、テープレコーダーや視聴覚器具な
どの利用できるなど、さまざまなサポートが準備されています。

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