▲ビーチ先生からのアドバイス▼
| 両親の熟年離婚。悲嘆する母が精神的に自立するための援助手順を知りたい |
後日呼び出して話し合ったところ相手の女性とは仕事を通じて知り合い、9年位前に父が仕事の中でもっとも苦しい時期があった時、悩んでいた父が母へ相談しようとしたところ「仕事の話はわからないから聞きたくない」と言ったそうです。その後父の相談にのってくれたのがその女性だったそうで、それから実際に付き合い始めたのは今から3年位前だそうです。 |
------------------------------------- <家族は有機体のように発達する> 実家のご家族の変化に対応していくお話ですね。家族族心理学では、家族は「有機体」(生き物)と同様にとらえられるという考え方があります。家族は生き物のように息づいていて、時間の経過とともに発達・発展し、その形態を変えて行きます。ご両親も50代半ばになり、娘のひとりであるご自分も結婚して元の家族を出るという変化の中で、両親の別離を目の当たりにされることになったのですね。特に、ご自分の必然性からいわば納得して、やむにやまれず出て行ったお父さんの方ではなく、主に目の当たりにされるのが、自分の流れの必然性の結果ではなく、いわば置いていかれたお母さんの方であるので、その心情につきあうのは、お母さんご本人と同様、やるせない思いでいっぱいになりがちかと拝察いたします。 その上でもやはり、すでに成人されご結婚もされてご自分の家族を持っている段階に現在は至っているのですから、ご実家の問題は非常に心を揺さぶられる重要な問題ながらも、ご自分の直接の問題ではなく、「両親の問題」と割り切ってとらえる視点も重要かと思います。いまだ皆が同居している家族でも、「世代間境界」は重要と言われます。理想的には、父母の間に堅い連合があり、子どもなどの他の家族メンバーとは一線を画している状態があると機能的な家族であると、一般的には言われるようです。 ご実家の歴史の流れを聞いていると、この「両親連合」がある時期からかなりゆるくなってしまい、お父さんは満たされない精神的サポート、肉体的供給を他の女性に求めるようになられたのでしょうか。いつかその女性との連合の方が確固としたものになってしまい、内実に形を合わせるべく一大決心の上で出て行かれたのでしょうか。
<個人の境界を持って、共感する> このような事態に置いていかれ、その状態に嫌がおうにも適応しなければならなくなったお母さんの気持ちに付き合い、サポートしていくためにはどうしたらよいか、というのが相談者さんのメインのご質問だと思います。お母さんと相談者さんとのお付き合いは、カウンセリングというプロフェッショナルなセッティングではないですけれども、カウンセリングの中で大事にされているいろいろな考え方や姿勢は参考になることがあるかと私は思います。 まずは基本的な概念として、「世代間境界」の観点からも書きましたが、クライエント(この場合はお母さん)の気持ちを理解し、それに深く沿っていきながらも、「それはこの方(お母さん)の問題であって、自分の問題ではない」という個人と個人のバウンダリー(境界)の感覚を、いつも確固として持っている必要があります。 クライエントの気持ちを深く理解し、その理解していることを伝えていく、ということが大きな癒しのポイントであることは常識的にもよく知られていることと思います。しかしその理解も、気をつけなければならないポイントは、「同感」する(自分の個人的気持ちも含めて同じように感じている)のではなく、「共感」(empathy、自分が同じように感じているかどうかには関係なく、その方の気持ちとしてはそうなのだなというところで深く理解している)であることにあります。ここにも、個人の境界が明確であることが基本条件として求められているのですね。 同感というのは言わば、自分も感情的に巻き込まれている状態です。つまり、自分の方からも抑えられない感情が出てきてしまい、自分自身が怒ったり、悲しかったり、つらかったりで、クライエントの気持ちに焦点をあてて落ち着いて聞いてあげる余裕がなくなったり、自分も共倒れになったりする可能性があるので、カウンセラーとしては十分注意すべきと言われています。
<気持ちの流れに受身的につきあう> とは言っても、相談者さんはプロフェッショナルなトレーニングを受けたカウンセラーではないですし、これはご自分の生まれ育ったご実家やご両親の問題なので、感情的な距離をとるのが難しいのも普通だとも思います。感情的な距離を取るのがとても難しいのが当たり前なだけに、効果的なサポートになるためには、とにかく受身的な姿勢を外さずに「聴く」ということしかないようにも思います。「傾聴」という言葉で表現されたりする姿勢です。自分の感情や意見などをあまり表現せずに、お母さんの気持ちとして聴く、お母さんの気持ちの流れにつきあう、ということが最大のできることのように思います。 もしお母さんが話されることに触れて、相談者さんの方で強い感情や意見などが出て来てしまうことがありましたら、それはお母さんをサポートしたいという役割のところではなく、相談者さんご自身の中にあるご両親に持っている葛藤や、原家族の変化へのやるせなさ、怒りなどが出てきていると思われます。それらを相談者さんが経験すること自体はけして悪いことではなく、相談者さんご自身もこの快くはない、家族の変化を受け入れざるを得ない難しい適応の課題にいるのですから、それも当然です。しかしお母さんの話に沿ってサポートしていこうとするところでは、あまりそれらを出してしまい、お母さんの葛藤や、家族の力動を複雑化してしまうことがもしあると、得策ではないかもしれません。娘としても原家族の変化はとても悲しく思うけれども、また新たなアイデンティティやバランスを取り戻して行こうとする、その気持ちを母と娘で思いは微妙に違いながらも共感しあっていけることがあれば、とてもよいことと思います。
<自分の気持ちの処理の方も考えてあげましょう> またこのような「ご自分の気持ち」の方をどのように処理できるかということも、いろいろに考えておかれるとよいと思います。例えば、妹さんやご主人、友達になど、時々はそのままの気持ちをお話できる環境があるでしょうか。特に、お母さんの葛藤的な気持ちに触れると揺れ動いてくれる自分の気持ちをそのままに聞いてもらえる環境があるでしょうか。この事態に触れて自分だって揺れ動いている、そのことも当然だと受け止められる自分の部分がゆったりと持てるようであると、ご自分のためにも、お母さんをサポートする上でも、尚よいと思います。
<どんな気持ちでもそのまま聞いてもらえる体験> さて、ご家族の流れの歴史を読ませていただいて気になった点をいくつか書こうと思います。お母さんのとられた行動として何度か出てくるのが「仕事の話はわからないから聞きたくない」「二人は“話し合う”事をせず」「戻ってきてくれる気がないなら止めても無駄だろう、と反対をしなかった母」「金銭的な問題を考えるとますます自分の言いたい事が言えず情緒不安定になったりもしています」と、「聞かない」「言わない」、つまりお父さんと率直なコミュニケーションをしないお母さんの姿です。お母さんの中には、(お父さんとの?、あるいは全般的な)コミュニケーションに対する絶望的な無力感、無効力感というのがあるのかと気になります。それはお母さん自身の生い立ちや、それによって成り立った性格から来ているのか、それともお父さんとの間に特に、お父さんにもそのようなものを引き出す何かがあるのか、よく分かりません。いずれにしても、お母さんはそのようにコミュニケーションをしないスタイルでやって来た、やらざるを得ない感じになっているのか?と思われます。 だったらますます、娘であるあなたにはいろんな気持ちを、何であろうともジャッジ(善悪の評価など)されずにそのまま聞いてもらえる体験というのは貴重であるかもしれません。ご両親のどちらが原因であるのかは分かりませんが、お父さんとの間には少なくとも長い間それは共有されてこず、その結果関係が終わりにならざるを得ないという体験が今は目の前にあるのであれば特に。 お母さんは、聞かないこと、言わないことが結局はお互いのためだったり、関係をうまくキープしていく要だと思わざるを得ない経験というのをどこかで強烈にされたのでしょうか?20年位前のお父さんの浮気という事件が、お母さんをしてこのような態勢を死守しようとすることにどのくらい影響を与えていたか否かというのも気になります。 お父さんにしても、もしかしたらお父さんが原因に加担しているところがあって、お母さんと率直な気持ちのコミュニケーションができない事態になっているのかもしれないけれども、やはりその気持ちの交換の不可能さというところに深く苦悩した結果がいまの事態なのでしょうか。 以上は、どの程度それが本当なのかどうかは、当事者にインタビューしてカウンセリングのプロセスが進んでいってみないと確かめようのないことで、わたしが可能性として連想することにすぎません。相談者さんも、そんなアイディアもあったということを参考にだけしながら、予断のない気持ちでお母さんの気持ちを折に触れてそのまま聞いていってみることしかないと思います。お分かりだとは思いますが、お母さんに「そうではないかと心理学者が言っていた」と断定的に直接言ってみるようなことは意味がないどころか不要な反応を起こすこともありますし、お控えいただきますようお願いいたします。
<喪のプロセス> また「いずれ離婚する母が自立するために、どのような手順で気持ちの整理をしていくべきか」お知りになりたいとありますので、対象を喪失した際の一般的な喪のプロセスについて参考までに述べておきます。 人はいろんな「対象」に囲まれ、それらになじんで愛着を持って生きています。対象とは、親密感や一体感を抱いていた「人物」の場合もありますし、かわいがっていた「動物」や使いなじんでいた「物」、慣れ親しんだ「環境」、自分の身体の一部、目標や自分の描くイメージなども含まれるのです。それらとの死別や離別、喪失が、人に悲哀のプロセスを引き起こすことはよく知られたことです。 精神分析医のボールビー(John Bowlby)は、母親から引き離された乳幼児がたどる喪のプロセスを三段階に分けています。 第一段階:抗議(Protest);乳幼児は母親を捜し求め、自分が見捨てられてしまいそうだと分離不安を示す。母親がいない現実に抗議し、必死に取り戻そうとし、不安と苦痛が高まる。平静ではなく、泣いたり怒ったりする。 第二段階:絶望(Despair);母親を捜し求めることに疲れ、現実に落胆し、すべての試みがムダであることを悟る。激しい絶望と深刻な悲嘆に陥る。 第三段階:離脱(Detachment);対象に興味やこだわりを失って忘れてしまったかのような態度が見られるようになる。やがて母親に代わる新しい対象を見つけ、心を再建する段階。 相談者さんのお母さんはすでに乳幼児ではありませんが、対象を喪失したときに人間の心に起こる一般的な流れはこのようなものであると言われています。たいへん激しい人の感情の動きで、こんなものは避けられるものであればできるだけない方がいいように思われるかもしれませんが、ごまかしてしまうと問題が複雑化して長引くこともあり、大事なのはこのような一連のプロセスをじっくりと体験し、自分としてやりきり、本当に通り過ぎていくことだと思います。もっと詳しくお知りになりたい場合には、「悲哀のプロセス」「モーニング・プロセス」などのキーワードで検索するのもよいと思います。
<その人の固有の体験のプロセスにつきあう> これら理論を知ることは、一般的な人の心の動きを知る上でとても役立つものです。しかし大切なのは、固有の現象であるその人の体験そのものをいつも中心に置いて聴くこと、でもあります。理論が先にあるのではなく、固有のその方の体験の理解を進めるために、理論が参考になるに過ぎません。 結局、こころを静かにして「聴く」、その方自身の自然なこころのプロセスに、それがどっちの方向に転がって行こうとも、その間はいっしょについていってお付き合いさせていただく、これしかできないのだという原点に戻らされる体験を、私も心理療法を通していつもさせられています。 |